
お米とわたしたち
もしも、この国にお米がなかったら・・・。歴史は変わっていたでしょう。日本に稲作が伝わったのは縄文時代末期から弥生時代。稲の化石やおにぎり形のお米の塊などが日本各地の遺跡で見つかっています。
稲作は、人々の暮らしに大きな変化をもたらしました。ひとつの土地に定住するようになり、ムラができ、リーダーが生まれ、ムラ同士が争い、国の誕生につながりました。邪馬台国の女王・卑弥呼もこのような状況で出てきたのでしょう。
稲作中心の社会になると、お米はお金の役割も持ちます。ある時は税金として、ある時は給料として。田んぼにまつわる法律も制定されました。そう、お米は食べること以外で私たちに存在感を発揮するようになったのです。
もちろん、食生活でも、大きな存在でした。お米に魚介類や野菜のおかずという食習慣はどうやら弥生時代にはできあがっていたもよう。
炊きたてのごはんに焼き魚、野菜のおつけもの、おみそ汁。ずっとずっと昔から、こんな理想的な食事を私たちは愛してやまないのです。

お米がちらり
いつも、近くにあったお米は、文学や美術などにも取り上げられるほどでした。日本に現存する最古の歌集『万葉集』では、お米や稲が度々登場します。
長い黒髪が自慢だった平安時代の貴族の女性たちは、髪を米ぬかで洗い、とぎ汁で整えていたそう。日本文学史上最高傑作といわれる『源氏物語』にもお米で髪を整える描写があるので、当時はあたりまえの美容方法だったのかもしれません。お米の美容法といえば、同じく平安時代に書かれた日本最古の医学文書『医心方』には、お米を美白やシワ取りのパックに使ったという記述もあります。
また、江戸時代から大正時代の浮世絵美人画には、口に白い布をくわえているポーズがありますが、この白い布はぬか袋。ぬか袋は体や肌を洗うために、当時の女性たちの入浴タイムの必須アイテムだったのですね。恋のゆくえをお米や稲にたとえた歌、美しさのためにお米を活用する女の人の姿・・・。
お米はずっと私たちの生活や恋愛に関わってきたと知ると、はるかに昔に生きていた人々も、グッと身近に感じられるから不思議です。
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